404 Not Found

予定は未定。

ヒッチハイクで帰省した話

はじめに

先日、僕は東京から愛知までヒッチハイクで帰省した。

計画性皆無、行き当たりばったりの無銭旅行。

その旅は決して簡単なものではなかったが、それでも僕は人々の心からの善意によって、無事に実家まで帰ることができた。

そこには運もあったし、縁もあったし、恩もあった。

多くの人に助けられ、そして多くのことを学んだ。

僕は、今回の旅で得た物を形として残しておきたいと思った。

つまりこの文章は、そんな僕の初めてのヒッチハイク体験記である。

うまく書けるかわからないけれど、すべての人に精一杯の感謝を込めて、僕はこの記事を書こうと思う。

タイトル ドーン!(効果音)

ヒッチハイク(英語: Hitch hike)とは、通りがかりの自動車に(無料で)乗せてもらうこと。この方法で旅することをヒッチハイキング(Hitchhiking)、旅行者はヒッチハイカー(Hitch hiker)と呼ばれる。

wikiより引用

 

 

ヒッチハイクの話

2/16  22:00 出発前日

大学は一週間前から春休みに入っていた。

その日僕は豊島区の6畳間で、もう半年以上帰省していない愛知の実家のことを考えていた。

そろそろ帰りたい。

帰省したい気持ちは十分にあった。

問題は、どう帰るかだった。

 

普段僕が帰省する時に使うのは、片道3000円ほどで乗ることができる格安の4列シート夜行バスだ。しかしそれらの快適性は著しく低く、僕にはなるべく夜行バスでの帰省を避けたい気持ちがあった。

消灯後に延々とスマホを使う人や、無言で座席をフルリクライニングしてくる前座席の人、サービスエリア毎にトイレに行く隣人など、マナーという言葉を知らない客に囲まれながら、一睡もできずに6時間窮屈な姿勢で拘束される。ようやく名古屋につく頃には、体はバキバキで睡眠不足。格安夜行バスは、まさに現代の奴隷船といっても過言ではないほどに劣悪な環境なのだ。余分にお金を払ってでも、新幹線に乗った方が精神衛生上いいことを僕は知っている。

しかしその時、僕の手元には4000円程の現金しかなかった。貧乏学生なので当然ではあるが、僕の財布には元々このくらいの金額しか入っていない。もちろん、これでは新幹線には乗れない。しかし夜行バスにも乗りたくない。

ではどうやって帰省すれば良いのだろう。4000円で東京から愛知まで。

 

思いつく現実的な方法は自転車で帰るか、ヒッチハイクだろう。

僕は4年前に、自宅からポートメッセなごやまで往復100kmほどをチャリで移動したことがあった(両足を攣る地獄だったが今では良い思い出だ)。だから、自転車での帰省は不可能な話ではなかった。

しかし、この時期の野外の寒さはまだまだ厳しい。無理に出発したとしても、僕は箱根の峠を越えられずに遭難する羽目になるような気がした。それに、自転車で帰るならば、往路だけではなく復路も自転車で帰らなくてはならない。

僕にはだんだんと、自転車による帰省は現実的ではないように思えてきた。

残された選択肢は一つしかなかった。

ヒッチハイク

僕は、ヒッチハイクで実家に帰ることにした。

 

親譲りの無鉄砲でも、損をしたことは一度もない。

大抵の場合、やらないよりやったほうが面白いことを、僕は知っているのだ。

しかし、現実的にヒッチハイクが可能かどうかは別の問題である。そこで僕は、インターネットで情報を収集することにした。

調べてみると、東京から名古屋までヒッチハイクを成功させた人は意外にも多く、その方法を詳しく書いたブログも多数存在していた。

それらによれば、高速道路のインターチェンジ周辺で立ち、サービスエリアまで乗せてもらうことがコツだという。そして、特に用賀にある東京インターチェンジ周辺でヒッチハイクを始めると、拾ってもらえる確率が高いらしい。

これを知った僕は、名古屋へのヒッチハイクが十分に可能であることを確信した。いける。

僕はスマホのアラームを7:00にセットし、明日の出発に備えて早めに就寝することにした。

 

2/17 7:00 起床

ヒッチハイカーの朝は早い。

高速に乗る車を拾うためには、旅行者の多い朝から立ち始めるのが肝心なのだ。

普段は2時就寝の9時起床、生活リズムの崩壊している僕も、ヒッチハイク当日は早めの起床でスタートした。

起床(汚部屋)

窓の外を眺めると、外は気持ちのいい晴天だった。僕はこれから始まる旅の予感に気持ちを昂らせながら、出発の準備を始めた。

 

荷物の準備にはそれほど時間はかからなかった。

ヒッチハイカーに多くの荷物は必要ない。

本当に必要なもの。それは笑顔と忍耐、そして人目を気にしない精神力。

これさえあれば、僕は日本のどこにだって行けるのだ。

僕はリュックに、財布(4000円)、パソコン、ダイソーで買ったペン、スケッチブックを詰め込んだ。これだけで十分。

僕は最後に、バナナとヨーグルト、食パン一枚を牛乳で胃に流し込み、起床後1時間ですべての出発の準備を終えた。

 

8:13 出発

出発(寒い)

すべての準備を終えた僕はまず、田園都市線の用賀駅を目指すことにした。

リサーチ情報によると、用賀の東京インターチェンジ付近はヒッチハイクの聖地であり、しかも近辺のローソンには駐車場があるらしい。

ヒッチハイクするうえで、車の停車場所があるということは重要だ。

僕は即座に、ここでヒッチハイクをすることに決めた。

 

僕はこれまで田園都市線を利用したことがなかったけれど、最寄りの山手線大塚駅から、渋谷で田園都市線乗り換え、出発後50分ほどで何とか用賀駅へ到着することができた。

(ちなみにここまで来るのに300円ほど電車賃が必要だった)

 

9:09 用賀駅

用賀駅は小規模ではあるものの、小奇麗な駅だった。

私は用賀駅東口を出ると、グーグルマップですぐにローソンを探した。

マップによるとここから徒歩2分ほどの場所にローソンがあるらしい。

僕は歩いてそこへ向かった。

しかし、そのローソンには駐車場がないようだった。

 

これは後に続くヒッチハイカーへ向けての情報であるが、用賀駅最寄りの「ローソン用賀二丁目店」には駐車場はない。

ヒッチハイクのためには、正しくは「ローソン世田谷瀬田5丁目店」を目指す必要があるのだ。

用賀駅からのマップを以下に示す。

高速入り口の更に近くにマクドナルドもあるが、ここは駐車場がない上に高速に乗る車の流れの向きと合っていないのでヒッチハイクには不適であるような気がする。

マップ



9:24 ローソン 世田谷瀬田五丁目店

地図を頼りに歩くこと10分。

僕はついに目的地、ローソン世田谷瀬田5丁目店へ到着した。

とりあえず、僕は店内に入って申し訳程度にお茶を購入しておいた。

そして家から持参したスケッチブックに、アバウトな方向を記入した。

「愛知方面、海老名SA」

まあ正直サービスエリアはどこでもいい。高速に乗せてもらえれば万々歳だ。

邪魔にならないよう歩道の端の方に立ち、僕はスケッチブックを広げ、お決まりのヒッチハイク・ポーズを決めた👍。(一回やってみたかった)

そして、ここから僕のヒッチハイクが始まった。

イメージ図

スタート



9:53 邂逅

ヒッチハイクを始めてしばらくの間、僕はまるで自分が上野動物園ニホンザルにでもなったような気分だった。

時間は平日の朝。道行く人は散歩中のお年寄りか、チャリに乗った主婦だけ。

そんなどこにでもある平日の朝に、スケッチブックをもってポーズを決めている僕は明らかに浮いた存在だった。

高速へ向かう運転手たちはこちらを一瞥することもあったが、たいていは僕がスケッチブックを掲げると同時に気の毒そうな顔をして去っていった。

(僕が家出した高校生にでも見えたのだろうか)

信号待ちの車の中からは、子供たちがこちらを指差して笑っているのが見えた。

どうやら、僕は周りの視線を集めることには成功しているようだったが、それは珍獣を見るような視線だったらしい。僕はここで若干の気恥ずかしさを感じてしまった。

 

しかし、僕の最大の長所は人の目を気にしないところ。(あるいは短所でもある)

大切なのは自分がどう見られるかより、自分に何ができるか。

僕はこちらを見て笑っている子供たちに向かって、最高の笑顔でポーズを決めた👍。

 

ヒッチハイクをはじめて30分が経過した。

いろいろな車が通っていくが、いまだに止まってくれる車はゼロ。

ローソンに入る車はそれなりにいても、そのお客さんにまで声をかけるのは流石に迷惑だろうと思った。

だから僕はあくまでこのポーズ👍とスケッチブックで、道行く車にアピールを続けた。

まあ、ヒッチハイクなんてそんなに簡単なものでもない。気長に待ち続けよう。

そんなことを考えていた時、僕はローソンの方向からこちらに近づいてくる一人の男性の存在にふと気が付いた。

彼はかなりチャラい雰囲気を漂わせていたが、それと同時にかなり人当たりがよさそうな感じだった。僕が振り向くと、彼は笑みを浮かべて言った。

 

「この後、沼津まで行くんだけど乗ってく?」

 

救世主が現れた瞬間だった。

僕は満面の笑みで、「乗せて下さい!!」とサムズアップした👍。

 

彼(以降アニキと呼ぶ)はどうやらローソンで買い物をしに、駐車場に止まったようだった。アニキの車はマツダSUVだった。その後部座席には、既に誰か一人座っているようだった。

僕はアニキの車に乗り込むと、とりあえず簡単に自己紹介をした。愛知の実家を目指していること、どこかのサービスエリアまで乗せてもらえたら嬉しいということ、実は明日が自分の誕生日だということ(めでたい)。

 

僕は助手席に座り、今度は彼ら自身のことについていろいろ尋ねてみた。すると、アニキは大学4年生で、今日はバイト仲間2人と一緒に日帰りで、沼津の海鮮を食べに行く最中なのだと教えてくれた。もう一人のバイト仲間は、どうやらまだローソンの中にいるらしかった。

全員が揃うまでの間に、僕はアニキにどうして自分を乗せてくれたのかと尋ねた。

すると彼は「トイレのためにローソンに寄ったら、面白そうなことをしてる人がいたから」と答えた。

やはりローソン前を選んだ僕の作戦は正解だったのだ。僕は自分の幸運に感謝した。

そして僕は、沼津までの道中の静岡にある足柄SAまで乗せてもらえることになった。

 

しばらくすると、もう一人のバイト仲間が車に戻ってきた。

僕はまた、3人に軽く自己紹介をした。

こうして全員が揃うと、心地よい加速とともにアニキの車は首都高速へと走り出したのだった。

 

 

車が高速の入り口に着く頃には、僕は彼らと完全に打ち解けていた。

最初はうまく会話できるだろうかと少し不安に思ってもいたが、その不安も杞憂に終わった。

そう、我々にはある共通点があったのだ。

それは全員、プロ野球の熱心なファンだということだった。

アニキは千葉ロッテ、バイト仲間の二人は広島カープオリックス・バファローズのファンだった。(僕はそのとき初めて、オリックス・バファローズにファンが存在することを知った)

そして僕は愛知出身なので、当然ではあるが熱心な中日ドラゴンズのファンだ。

セ・リーグのファン2人に、パ・リーグのファン2人。

ここに、プロ野球を愛する最高のメンバーが揃ったのだった。

(万年Bクラスの球団ばかり…)

 

車内の野球談話は異常な盛り上がりを見せた。WBCの代表メンバーの話や、ソフトバンクに強奪されたロッテのオスナの話。セイバーメトリクスを重視する僕のデータ野球観など、僕らの間に話題が尽きることはなかった。野球は世界を繋ぐのだと思った。

 

足柄SAまでの間、アニキはプロ野球選手の直球のくらいの速度で高速道路を爆走していた。(やばい)

しかしその運転テクニックは非常に優れていたから、僕は若干ビビりながらも超特急の運転を楽しむことができた。

 

静岡に入ってしばらくすると、フロントガラスの真正面に富士山が見えてきた。

富士山

それは本当に見事な富士山だった。

そして僕が富士山を見るのは、これが初めてだった。

普段の夜行バスでは見えない景色。僕はこの富士山を見たとき、ヒッチハイクをしてよかったと心から思った。

 

そして出発から1時間が過ぎたころ、僕らを乗せた車は足柄SAへと到着した。

この頃には、僕らは最初から友人であったかのように完全に打ち解けあっていた。

11:31 足柄SA

足柄SAに着くと、アニキたちは僕にいろいろなものを奢ってくれた。

僕は申し訳なく思い、断ろうとしたが結局はアニキたちの優しさに甘えることになった。

まず最初に、僕はアニキのバイト仲間からアイスクリームを頂いた。

ミルクランド

アイス

朝霧高原のミルクを使ったソフトクリーム。きめ細かいクリームとサクサクのコーン。これは本当にびっくりするくらいおいしかった。

 

ほかにも僕はアニキから、お茶とおにぎり、そしてデザートの差し入れを頂いた。

足柄まで連れてきてもらった上に、僕はこんなにもたくさんのものを頂いてしまって本当に申し訳なく思った。

しかし、アニキたちは本当に懐が深かった。人のいい笑顔で、僕の帰省を応援してくれた。イケメンは性格までイケメンなのだろうと思った。

 

最後に、僕はアニキたちと富士山を背景に記念撮影をした。

富士山を背に、圧倒的感謝

僕は、アニキたちや後ろの富士山のように、デッカい人間になりたいと思った。

 

アニキたちには感謝してもしきれないくらいの恩を感じた。

僕はここまで連れてきてくれたアニキたちに心から感謝し、惜しまれながらもグータッチ✊をして別れた。

そして僕は、アキニたちの善意を無駄にしないためにも、必ず帰省を成功させると誓った。

 

12:00 ヒッチハイク in 足柄

足柄SA

平日昼の足柄SAには、多種多様な人々が集まっていた。

犬を連れた老人たちがのんびりと散歩を楽しんでいたり、若いカップルが手を繋ぎながら楽しそうに歩いていたり、長距離トラックの運転手たちが車内で軽食をとったりと、それぞれが自分たちの目的を果たすために、ここに立ち寄っていた。

そしてそんな平穏な昼時のSAの中で、周りの視線をひと際集めるが存在がいた。

それは僕以外の、もう一人のヒッチハイカーだった。

そのヒッチハイカーは、まだどこか幼さの残る少年で(僕より年下だろうか)「京都方面」と書かれたスケッチブックを持ち、道行く人たちに積極的に話しかけているようだった。

まさか自分以外のヒッチハイカーがいるとは思いもしなかった。僕は若干の気まずさを覚えながらも、彼から少し離れた所でスケッチブックを広げボーズを決めた👍。

 

スケッチブックには「名古屋方面、浜松SA」と書いておいた。

サービスエリアを細かく刻んでいっても、あまり効率的ではない。

僕は足柄SAから浜松SAまで一気に静岡を渡るつもりだった。

そして、この判断が重大なミスであることに気が付くまでに、長い時間はかからなかった。

 

13:05 圧倒的幸運

足柄SAでヒッチハイクをはじめて30分が経過した。

その間、僕は誰からも声をかけられることはなかった。

おそらく浜松SAは足柄SAから少し遠すぎたのだろう。道行く人々は僕の存在に気付いて近づいてくることもあったが、スケッチブックに書かれた文字を見ると怪訝そうな顔をして去っていった。

 

その時僕は、このまま一生足柄SAから出られないんじゃないかと思い始めていた(高速のサービスエリアは徒歩で出ることはできない)。

 

しかし、足柄SAから見える雄大な富士山を見ていると、そんなことはどうでもいいように感じられた。たとえこのまま夜まで誰も乗せてくれずに、足柄SAで野宿することになろうとも、それはそれで面白いじゃないか。

今更焦ったところで何かが変わるわけでもない。

人生においては、あれこれ考えるよりもどっしり構えることが重要な時もあるのだ。

でっかい富士山

 

そしてSAでのヒッチハイク開始から1時間が経過し、野宿の可能性が現実味を帯びてきたその時。

ヒッチハイクのポーズ👍を決めながら富士山を眺めていた僕に、40代くらいの男性が話しかけてきた。

 

「名古屋まで行くけど一緒に来る?」

 

 

それは、不意に訪れた圧倒的な幸運だった。

名古屋まで。それなら一発で地元まで行ける。

この提案を断る理由は一つもない。僕は食い気味に、「乗ります!!!」とサムズアップした👍。

 

 

男性の車へ乗りこむと、彼は僕に腹は減ってるかと尋ねた。アニキからもらった差し入れもあり、僕は正直あまり空腹ではなかったが、まあそれなりに空いていると答えた。

すると彼は僕に、コンビニで買ったハムサンドを分けてくれた。

僕は若干の申し訳なさを感じつつもそれを受け取り、車内で彼と一緒に昼食を食べた。

 

食事が終わると、僕は彼に軽く自分の自己紹介をした。愛知の実家へ帰省したいこと。明日が自分の誕生日であること(お祝いの言葉をいただいた)。身分を示すために、学生証も提示しておいた。

僕が自己紹介を終えると男性は、今日は仕事の帰りで、この後名古屋の職場まで帰るのだということを教えてくれた。そして、僕はそのまま彼の職場の近くまで送ってもらえることになった。どうやら僕はこの時点で、今回のヒッチハイクの目的を完全に達成したようだった。僕はこの幸運に感謝した。

こうして僕らは足柄SAに別れを告げ、車は名古屋へ向けて走り出したのだった。

 

16:05 JR神領駅

足柄SAを出発して暫くすると、彼は僕に「疲れてたら、音楽聞いたり寝ててもいいからね。」と言った。しかしここから名古屋までまだ3時間ほどある。長時間一緒にいるならば、仲良くなって会話したほうが絶対に面白い。僕は彼に、せっかくなのでいろいろお話を聞きたい旨を告げると、彼は嬉しそうに笑った。

そしてここから僕と彼の、長いようで短い3時間のドライブが始まった。

 

初対面の人と仲良くなるコツは、相手の興味のある話をするというよりも、政治、宗教、コロナの話をしないことだと思っている。会話の正しい距離感を図ることが、円滑なコミュニケーションのコツなのである。

だから僕はまず、高専や大学のこと家族のことなど、自分のことをいろいろ話した。

その中で、相手の興味を持った話を膨らませていくのが重要なのだ。

 

ある程度自分のことについて話すと、僕は彼に信用されたらしく、彼のこともいろいろと教えてくれた。男性は40代後半で、貿易や運輸関連の仕事をしているそうだ。

そして僕らはこの後、趣味の話から人生哲学、トルコの地震から鳥インフルエンザに至るまで、あらゆるテーマについて会話した。彼から言葉の節々にインテリジェンスを感じると言われ、恐縮に思いつつも、僕は少しうれしく思った。

共通の話題がなくとも、世間話から一寸踏み込んだ話まで、僕たちの話はかなり盛り上がった。足柄SAを出発してから車が名古屋に到着するまでの3時間は、本当に一瞬に感じた。

 

車が彼の職場の近くに着くと、僕は職場の最寄りの駅まで送っていただけることになった。下道で自分の地元までヒッチハイクするのは非効率的だし、ここからなら実家の最寄り駅までそれほど運賃はかからない。

こうして僕はJR神領駅までたどり着いた。

最後の別れ際、彼は僕に、「君を乗せてよかった。」と言った。

僕も彼に礼を言い、心からの感謝の気持ちを伝えた。

彼は優しく微笑んで、僕たちは手を振って別れた。

JR神領駅

 

神領駅を使うのは初めてだった。

どうやらこの駅は、JRの中央本線の駅らしかった。僕はここから高蔵寺までJRで移動し、そこからは環状線で実家の最寄り駅まで帰ることにした。

ここからは電車

愛知の鉄道料金は基本的に高いことで有名だ。僕はここから実家の最寄り駅まで、700円ほど取られることとなったが、それでも東京から帰ってきたと考えれば十分安いだろう。

神領駅のホームで待つこと10分程度で電車はやってきた。僕はそれに乗車し、高蔵寺愛知環状鉄道に乗り換えた。

そして電車は30分ほどで、僕の実家の最寄り駅へと到着した。

 

17:17 実家に到着

実家の最寄り駅に着くと、田舎特有の懐かしい草の匂いがした。深呼吸してみると、心が満たされるような気がした。

そしてようやくここで、僕は自分が本当に地元まで帰ってきたのだと思った。

 

駅から実家の方角を眺めると、畑と農協、そして不釣り合いな程に整備された道路が見えた。西の空では、沈みかけた夕日が全体を赤く染め上げていた。

それは旅の終わりにふさわしい夕焼けだった。

東京の朝日も、今見える田舎の夕日も、全部同じ太陽なのだと思うとなんだか不思議に思えた。

駅からの風景

駅から見る町の風景は、半年前と何一つ変わっていなかった。

時間が止まってしまったような景色だ。

しかし、それを見てどこか安心している自分がいた。

 

この世界に変わらないものがあるすれば、それはこの駅から見た地元の風景なのかもしれない。

そんなことはないと知りつつも、そうであってほしいと、僕は強く思った。

 

 

明日は僕の誕生日だった。

急に帰ってきた僕を見て、きっと家族は驚くだろう。今日は本当にいろいろなことがあった。家族にこの土産話をするのが本当に楽しみだった。

そして、何より今は、無事に帰って来ることができて本当に良かったと思った。

 

赤く染まった夕日が静かに沈んでいく。

僕は家族の待つ実家へ向かって、ゆっくりと歩き出した。

なんもねえ田舎道と、その夕焼け

 

 

--the end--

 

 

 

おしまい(字が汚い!)

P.S.帰りは名古屋から夜行バスで帰ります。

今年の夏休みは、チャリかバイクで帰省するかもしれない。(無謀)